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イラン在住4年間の写真集とイランを舞台にした小説です。


by EldamaPersia

遥かなる遺産 Part3(1)

平山がイランに赴任して2年が過ぎ、再び初夏を迎えた。アツーサのご主人は退院して、今は自宅で療養しているという話だった。もう少しで仕事に復帰できるという。アツーサ自身も通常の仕事をこなすようになった。平山は予算の少ないテヘラン州局のために、自らの労力でシステム開発を進めていた。彼にとってPCを使ったデータ処理はそれほど難しい課題ではない。

「アツーサ、ミトラって名前知っている?」
「はい、女性の名前に使われています。若い女性には使われていませんが、昔は人気のあった名前です」
「イラン人の名前にも流行りってあるんだね。ミトラって素敵な名前に響くけどなぁ」
「アツーサという名前も歴史のある名前なんです」
「へぇ、そうなんだ」

平山は、やはりアツーサはミトラについて何かを知っていると思った。しかし、唐突に平山が岡野と話したことを訊く気にもなれないので、彼女の出身地について質問した。

「アツーサの出身地はカスピ海の方だったね?」
「はい、ギーラーン州のラシュトを少し過ぎたところです」
「そっか、カスピ海は以前ラムサールまでは行ったことがあるけどね」
「そこからさらに先になります」
「車で行くと時間が掛かりそうだね?」
「6時間か7時間は掛かると思います」
「そう、遠いなぁ」
「今度、私の実家に是非来てください」
「うん、ありがとう。いつか行ってみたいな」

地図でみるとテヘランからカスピ海までは近そうにみえるが、その間にはアルボルズ山脈があるため、山道を抜けて行かなければならない。平山は、カスピ海を見たくて赴任の当初、車で行ったことがあり、その時は約3時間掛かったのを覚えている。その後、ラムサールまで行ったときは、一泊二日の旅行であった。

ラムサールというのは、ラムサール条約で有名だが、それがイランの地名であることを知っている日本人は少ない。平山もイランに来るまでは知らなかったことである。ラムサール条約というのは、「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」のことである。

「アツーサ、今日はスピードガンを探しに行こうか?」
「先日の会議で警察から来ている人がいたねぇ、名詞交換した人」
「はい、覚えています」
「電話して、どこで買えそうか聞いてくれないか?」
「チャシム」(分かりました)

スピードガンとうのは、野球のピッチャーの球速を測ったりするものである。平山は自動車の走行スピードを測りたいと考えていたのだった。何でも調達可能なイランである。テヘランの大バザールに行けば、さすがにペルシャ商人の末裔と驚かされるものが見られる。日本の土鍋を見つけたときには目を疑ったくらいである。

平山とアツーサは、まず知り合いの警察の人に会い、スピードガンの手配が可能な業者を教えてもらった。そして、教えてもらった住所を頼りにテヘランの中心部に向かっている。取り扱い業者というのは、お店を持つ必要がないので、どうやら一般の住宅地の中にオフィスを構えているようであった。

ようやく住所の場所をみつけると、やはり一般のアパートのような建物であった。アツーサが門のところにあるボタンを鳴らし、話をすると門のロックが外された。2階ということなので少し薄暗い階段を登った。部屋の入り口には表札があり、確かに警察に品物を納めている業者のようである。

アツーサがチャイムを鳴らすと、中からドアが開けられた。部屋に入ると、直ぐ近くに大きなデスクがあり、その前に応接セットが置いてある。そこに男が三人立っていた。アツーサは、動じることなく挨拶をしているが、平山はどうも雰囲気がおかしいと感じていた。

三人の真ん中にいる男が大きな机の主のようだった。奇妙なのは、その男の髪型と衣装である。髪型はモンゴル人のような弁髪で、衣装はパキスタン人が着るような上から下までずどんとしたようなものだった。両脇の男は典型的なイラン人の服装をしていた。

肝心のスピードガンの話については、どうやら一個の注文では商売にならないのでやらないということらしい。アツーサはそれでも食いついていき、激しいやり取りをしている。平山は、アツーサが恐いもの知らずなのかと思った。三人の男は、日本で言えば、ヤクザのような雰囲気なのだ。

「アツーサ、もう分かったから帰ろう」
「はい、でも・・・」
「いいんだ」
「はい」

平山とアツーサは、建物を出て車に乗った。

「彼らは、大量の品物を高価な値段で警察に納めているのだろう」
「はい、どうでしょうか」
「今のイランの情勢では、政府は警察に多額の予算をつけているのだろう。そういう周辺にはあのような業者が集まるというものだ」
「はい」
「アツーサは、恐くなかったの?」
「恐かったですよ」
「あはは、そうなのか。無理して話を進めることはないのに」
「でも、あんまりなんですもの・・・」

平山はスピードガンの購入を諦めることにした。そして、その代替案を考え始めた。自動車のスピードを測る方法なら他にもあるはず。結局、ビデオカメラを買って、道路に200mくらいの間隔でマーカーを置き、ビデオを再生しながら、ストップウォッチを使い、自動車の通過時間を測るという方法に変えることにした。

平山には、スピードガンのことよりもアツーサのことが気になった。1個なので取り扱わないというのでは、話を進めようもないというのに、どうしてあそこまで食い下がったのだろうか。まさか、ミトラの得意技の集団催眠を使うつもりだったのか・・・



スピードガンを探した日の3日後、岡野からアツーサの携帯電話に電話が掛かって来た。

「ミスター・平山。ミスター・岡野からです」
「あ、ありがとう。はい、もしもし、平山です」
「平山さんは、新聞みてないだろ?」
「ペルシャ語じゃぁ、読めないからね」
「昨日の新聞に出ていたんだけど、ダマヴァンド山で偶像がみつかったそうだ」
「偶像・・・ってことは、イスラム以前ってことかな?」
「ミトラ像らしいよ」
「え!ミトラ像なのか」

脇にいたアツーサがミトラという言葉に反応したが、平山が電話中なので直ぐに平静な表情に戻った。

「ヘッドギアをしていて、左手を空に向けて上げているそうだ。そして、臍がないらしい」
「臍がない?」
「まぁ、神様だから臍がないというのは自然だろうけど」
「宇宙人にも臍がないってことか」
「まぁ、そういうことだ」

平山は思った。岡野の主張する宇宙人説を裏付けるものなのだろう、だから電話をして来たのだ。岡野は続けた。

「ところで、ダマヴァンド山にまつわる神話は知っているかな?」
「いや、全然しらないけど」
「私も正確には覚えていないけど、英雄ファリドゥンがアジ・ダハーカという三頭の怪獣をやっつけたときに、蛇とか蠍とか蛙とかが傷口から出て来たらしい。それを退治しようにもできなくて、捕まえてダマヴァンド山に幽閉したということらしい」
「ほう」
「だから、神話が実話だったんじゃないかということで騒がれているということさ」
「でも、ミトラ像なんでしょ。ファリドゥンはどちらかといえば、マツダのはずだけどなぁ」
「偶像は後世の人が作ったものだろうけど、なんでミトラ像なんだろうね?」
「アーリマンをやっつけたミトラの方が強いからかな」
「理由はともあれ、ダマヴァンド山とミトラとが物証で結びついたのは初めてなんじゃないかな」
「なるほど」

電話を終えて平山は思った。臍がない偶像、神様に臍があったら母親から生まれて来た証拠になるから、神様の偶像には臍は敢えて彫らないのだろう。平山にはそれが自然な考えに思われた。宇宙人だから臍がないというのも面白い考えだとは思った。

ヘッドギアについても、戦士のイメージならヘッドギアだって不思議ではないだろう。宇宙人のヘルメットと考える方が不自然なのではないか、しかし、ミトラは女性のようだから、ヘッドギアなんて必要なのだろうか。無敵なはずの女神にヘッドギアというのも奇妙な気がする。

(参考)ダマヴァンド山
遥かなる遺産 Part3(1)_e0108649_10181338.jpg



平山は、100kgもありそうな巨漢のマジディ部長の運転する4WDでアルボルズ山脈の山道を走っていた。週末をマジディ部長の友人の別荘で過ごそうという誘いを受けたのだった。テヘランでは、40度近い気温になっているが3,000mもの高地に来ると気温がぐんと下がる。

マジディ部長は、平山が赴任したときには一言も英語を話したことはなかった。今でも、アツーサがいるときは英語で話そうとはしない。しかし、平山と二人になると英語で話しをしてくれた。どうやら、頭の中で言いたいことを英語に翻訳するのが億劫という感じであった。

山道を走りながら、マジディ部長が言った。

「若い頃、この辺りを歩き回ったものだ」
「レンジャーだったのですか?」
「いや、兵役中の話だ」
「ああ、イランでは兵役は義務でしたね」
「あの頃は、痩せていたけどな」

平山は、マジディ部長の痩せていた若い頃の姿を想像することはとてもできなかった。

「ドクター・マジディ。敵兵がこんなところまで来たのですか?」
「いや、いなかったな」
「なんだ」
「訓練の意味があったのかもな」
「なるほど」
「あの頃の上官や仲間は、今頃どうしているかなぁ」

そうは言っても、マジディ部長は当時を懐かしんでいるようではなかった。平山は、あまり思い出したくない体験だったのかも知れないと思った。

やがて4WDは谷間の山村に着いた。マジディ部長は車を止めると、商店の一つに入って行った。食料なら持参しているはずだが、何か足らないものでも思い出したのだろう。平山は、待っている間に周囲を見渡した。すると、直ぐ近くに奇妙な建物があり、そこから湯気が出ているのに気がついた。建物からは太いパイプが突き出していて、そこからお湯が落ちていた。

買い物から戻ったマジディ部長に訊くと、そこが温泉であるということが分かった。イランの最高峰のダマヴァンド山は富士山と同じように休火山と言われている。温泉があっても不思議ではないのだが、平山はイランに温泉があるなんて夢にも思わなかった。

マジディ部長は巨漢のせいだろう、足に問題持っている。平山はできるだけ荷物を持って、マジディ部長と一緒にゆっくりと別荘に向かって歩いた。空気はひんやりと冷たくて気持ちがいい。

小さな橋でせせらぎを渡ると、木につながれたロバが草を食んでいる。

「あ、友達がいる」

そう言ったのは、マジディ部長である。アゼルバイジャン州のタブリーズ出身のマジディ部長の自虐的な冗談であった。イランのジョークでは、トルコ人(厳密にはアゼルバイジャン州の人)とロバとは同じことで、部下のいるときには絶対に言わない冗談である。

(つづく)

(注)こちらはフィクションですから人名など実在するものとは一切関係ありません。

(参考)アルボルズ山脈の中にある温泉
遥かなる遺産 Part3(1)_e0108649_925627.jpg

by eldamapersia | 2007-10-03 15:00 | 遥かなる遺産 Part3